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ヒロタが綴る日々の出来事

雨色日曜

2008.10/5

朝起きたら雨でした。

雨好きだからいいんだけど。雨が降るととたんにだるーくなります。
(気の持ちようじゃないよ!)
雨音って良いものです。
Macから流れてくるピアノの音とコラボっております。

心がなんだかざわざわとして落ち着かないことってありませんか?
数日間何だかそんな感じ。
展覧会が終わった余波かな。
こういうときってあんまりごはんが喉を通らないのですね。
昨日出来た栗を食べたらちょっと落ち着きました。
こんな感じが以前にもあったなあなんて思い出した。
高校のとき、大好きな先輩に告白しちまった次の日の朝!
いやはや、なつかしい。

別に誰かに愛を打ち明けたとか(笑)
そんな色っぽいことは何も御座いません。

でも、ちょっとおおげさですが。
最近ふと気づいたのです。
今まで私は人から愛をもらいっぱなしの人生だったと。
両親から、祖父母から、友人から、ほにゃららから。
見返りとかのない愛情を。
だからきっと、いっぱい持ってるのです。
今だって、近しい愛する人びとからもらいつづけているのです。
いくらあげても減りはしないと思うのです。
今度は私が、人に差し上げる番なのではでは?と。
何かあったのか私???ふふーん。
人生はいとおもしろきかな。
さあ今日も一日をはじめるかね。

あと、ここは私が好きなように好きなことを書く場所だから、
みなさま心配とかご無用よ。そこんとこ宜しく。
気ままに生きていたいのです。
前世、猫。

栗色ホリディ

2008.10/4

思い立って栗の渋皮煮を作っていた。

一から作るのはとても手間のかかるもので 二日を要したが
ピアノのメロディアスな曲に乗っかって根気よく灰汁を取り続け
コトコトと。ちょっと人に自慢できる様な一品に仕上り、満足。
栗を煮た液が良い色で、せっかくだから草木染めをしようと染液にする。
サンプル程度の量だけ、羊毛を染めておいた。
渋皮煮は保存がきくので幾つかラム酒なぞ洋酒に漬けておこうと
思ったはいいが、私はふだんお酒を飲まないし 第一洋酒は苦手である。
よって、ない。・・・残念。
洋酒に浸かった果物などは好きなのだが。

物が沢山ある部屋は好きではない。しかし本はどうしても増えるので
時々古本屋に持って行く。
今日は大きな紙袋いっぱいの本を持って行った。
出来る事ならトランクひとつだけで生きていきたい位だ。
いよいよ本気でテレビも邪魔になってきたな・・・。

ピアノの音はいい。
高校まで習っていたから親しみがあるというのもあるだろう。
素晴らしい演奏に出会うとトリップする。頭の中に映像が浮かんでくる。
黒い鳥、鈍色の空、銀鼠色の海、佇む一人の女...
映画が出来そう。

                   画像 019.jpg

個展が終わって

もう私の世界とは切り離された空間は

ただそこにぽっかりと存在している。

私にとって展覧会は、その会場とのコラボレーションだ。
空間に惹かれなければそこで展示がしたいとは思えないし
その空間に立った時 心に響かなければ展示も制作も無理なのだ。
私にとっての良い空間でさえあれば私は土地を選ばないし
どんな遠い地でも足を運び そこで空間を創り出すだろう。
今回のギャラリーは本当に良い空間だった。
古い建物の良い所は残し 建物に尊敬の念を持って手を加え
美しい場所へと変化させた織館の試みは、成功していたと思う。
長い年月を経て美しい色になった木の床や
今の技術では作れないガラス窓の揺らぎある美しさ

地上でたったひとつの、
そのときその場所でしか味わえない空気と、
あるべき場所にあるべき作品を、と気を配り 創る、
永遠ではない濃密で儚い空間。
「Purification」の空間での感想で、
“地面に吸い込まれる瞬間”と感じた方が居られて
ちゃんと観て下さった方が居られることが嬉しかったです。
ああいった展示だから、ひゅーっと一回り観て終了、
なんて方も多いですから・・・。

展覧会を終えて、ちょっと半分幽体離脱中
でも他の通常作品も作らなければ。
関西でワークショップをする企画も浮上し。
ただフェルトでものを作るだけではない、
素材との向き合い方や制作の姿勢のことなどを
示すことのできるものになるといいなと思っています。

DSC00019_2.JPGのサムネール画像
そしてこれは、展覧会のお祝いに頂いたお花のその後。
枯れてきてドライになっても また違う美しさが出てくる。
朽ちてゆく美しさ。永遠ではないこと。
そんなことが、これからの私の探求するキーワードのひとつに
なりそうで、ここから何かが見えてきそうで。
それはまだ言葉では説明のできないものなのだけど

確かなものは何もない
永遠は存在しない
物質もそうだし ひとの気持ちだってそうだ。
その中で生き物たちはただ生きて朽ちてゆく
私はそこに深い悲しみとともに美しさを見る

shizuku.JPGのサムネール画像

個展「うたうみずうみ/Purification」
たくさんの方にお越し頂き、たくさんの作品を連れ帰ってくださり
お花や差し入れも沢山頂き本当にありがとうございました。
ギャラリーのスタッフの皆さんにも大変お世話になりました。

いつか、また。

senseihana.JPG

個展「うたうみずうみ/Purification」明日は最終日です。
廣田は28日一番の特急で会場に向かう予定。
展覧会をすることに決めてから数ヶ月、
長いような、あっという間のような、不思議な時間でした。
はるばる遠方からお越しくださった方々、偶然展覧会と出くわした方々
多くの人に来て頂けて、本当に有り難く思います。
支えてくれた沢山の人達にも、感謝の気持ちでいっぱいです。
あの空間も明日までで、同じ空間はもう二度とできないのだなあと思うと、
少し寂しくもあります。
自らの手で空間を終わらせるという最後の仕事も含めて、
明日一日を大切に過ごしたいと思います。

ちなみに、「うたうみずうみ」というタイトルは、
両親が考えていた私の名前候補のひとつ「詩湖」から来ています。
(そんな詩的な名前から何故今の名前になったのかは謎。)
でも、今の名前も好きです。
単純明快な所と、名字と名前との繋がり具合がしっくり来ている所が。

そして「Purification」は和訳すると”浄化”。
人は純粋で美しいままの心だけでは生きることはできません。
自分でも驚くくらいの、黒い渦のような感情も起こります。
それらと時間をかけて向き合い、それが浄化の塊となって
心に静かに落ちていけばいい。
忘れることなく、どこかに押しやることなく、ちゃんと向き合いたい。
そして、閉じた心を外に向けてまっすぐに健全に、解放させる。
このテーマと立体作品の形は4年前の個展から変わらないテーマ。
私の心の中にある世界を目に見える形にしたものです。
これからもこのかたちを続けるかもしれないし、
全く違ったものが出てくるかもしれない。

でも、「Purification」は観た人がそれぞれに何かを感じてくれればいい、
私の個人的な想いに限定されて欲しくない、と思います。・・・今は。

雑誌の撮影のための作品をつくりました。
詳細はお知らせをごらんください。

utaujmizuumi1.JPGのサムネール画像個展「うたうみずうみ/Purification」

28日までですよ。
ほんのちょっと
小さくですが展示の模様を。
白いカーテンの奥には
Purificationの間があります。
在廊中、ぺたぺたと裸足で
何度も歩きました。

朝晩肌寒くなってきました。
薄い上着を持ってお出かけしないと、風邪を引いてしまいます。

ふつうの皮をかぶってふつうのふりした赤ずきんは
自分があまりにも平凡なことにしょんぼりし
凡庸な才能しかないと思い それでもまだまだ楽しみたいと思う。

花は 咲くか ?

1%の才能と99%の努力。ってアインシュタインが言っていたっけ。

作品を仕上げて送ってしまったあと、
制作に使う道具を入れている箱を整理する。
色や形がまちまちの紙の箱に茶色い紙を丁寧に貼り、
見出し用の金具をつけて積み重ねると、統一感が生まれる。
見た目の美しさを大切にすること、整理することは
作業をしやすくするための、また自分が気持ちよく空間に居るための
工夫でもある。部屋を可愛らしくしたり飾ったりするよりも、
整理することに重点を置くほうが私には向いているようだ。
形やデザインがすごく気に入っているのだけど、丈が長いなあと
ずっと思っていたトリコ コムデギャルソンのワンピースも、
重い腰を上げ裾上げすることにした。
デザインがちょっと独特でうまくできるか心配だったけれど
少しずつ長さを測りながらカットした。
この作業で、服のデザインに感動し、縫製の美しさに感心し、
やはりここの服はすごいなあと思った。
しかしカットするだけで疲れ、縫い上げるのはまた今度・・・
(サグラダファミリアばりにゆっくりな私だ)

たぶん私は、皆が買うより服を買わないのではないだろうか。
10年位前から着続けている服がいくつもあるし、すごく吟味して買ったもの
ばかりだし、どれも気に入っているので飽きたらすぐ着なくなる、
ということがあまりない。
質の良いものを買えば、ほんとうに長持ちするし。
昔はうまく着こなせなかった服も、大人になって色んなものと合わせて
着られるようになってきた。

滅多にない自分のためだけの時間、大切に使いたい。

大雨警報

2008.9/21

朝、大きな雨の音で目が覚めた。
糸や革加工に使う道具が置いてある所の上の窓を開けていたので
そこから雨が大量に入り込み、道具や糸がびしょぬれ。
カーテンも水分をたっぷりと含み、ぽたぽた水滴が落ちている・・・

一瞬気が遠くなり、そののち「バチッ」と目が覚めた。

急いで窓を閉め、棚を移動させ、カーテンを絞り(絞るって・・・)
道具や糸をひとつひとつ確かめて、拭いて、濡れたものは干して。
そしてこの通り。↓干してます、椅子の上で。
suitekiito.JPGのサムネール画像

かなしい・・・

ミシンが濡れなかったのが、不幸中の幸い。
カメラもここに置いてなくて良かった・・・

頂いた月下美人は、「月花さん」(げっかさん)と名付けました。

個展うたうみずうみ/Purification、28日まで開催中です。

大阪のJAM POTさんで本日から秋のイベントが始まりました。
少し作品をお届けしています、どんぐりのかたちの小物入れ。
詳細はお知らせをご覧くださいね。
fooさんでのくまつりも開催中ですよ。

中原中也の詩集を読み始めています。
国語で習うことの多い「汚れっちまった悲しみに」が有名ですが
春日狂想や盲目の秋、骨 なども素晴らしいです。
読書家ではないけれど時々思い出したかのように本を読みます。
読んでいるうちに心地よい眠気が来て、うたた寝をしてしまうことも
しばしばなのですが。
最近は物語よりも詩を読むことが増えました。
平坦な日々の中にある些細な事、綻び、風景、心の襞を緻密に見ている
そんな作品が好き。
中也は三十才でなくなったのですね。
今の私と同い年。感慨深いです。

個展でお世話になっているKさんに月下美人の鉢植えを分けて頂きました。
富山からガタゴト電車に揺られて、はるばる京都にやってきた月下美人。
残念ながら花が咲いた様子は見られませんでしたが、大切に育てていこう、
そう思っています。

自分のテンポで考え、物事をインプットし、日々を生きていく。
その中で、自分の表現のかたちを常に模索していく。
考え続けること、歩き続けること、それを死ぬまで止めないでいること

富山から戻ってきました。
遠方からお越しいただいた方々、地元の方々、恩師、友人たち・・・
祭の時期とあわせて個展をさせて頂いているお陰で
本当に沢山の方にお越しいただいています。ありがとうございます。

hana2.JPGhana1.JPG 

初日に頂いたお祝いのお花たち。
DMの「うたうみずうみ」イメージで作ってくれたのだそう。
空間ともマッチしていて、すごくきれいで感動しました。
顧客さまからもお祝いや差し入れをたくさんいただき、
ありがとうございました。
町の重鎮や城端在住の作家さんにも観て頂き緊張しましたが
大先輩の方々から刺激あるご意見をもらえて実りある体験でした。
作者を思っての言葉、感謝の気持ちでいっぱいです。
どうでもいい作品にはまず、何も言いませんものね。
「芸術家だね〜」というコメントは相変わらず嫌いですがやはり言われます。
そんなたいそうな人間と思っていないし、そう言われる事で
相手からコミュニケーションをストップされている感覚を受けるからです。
コミュニケーション方法のひとつとして作品を創っている訳ですが、
なかなかうまくはいかないもの。
皆に分かってもらおうというより、ちゃんと観てくれる人に観てもらえれば
それでいい、最近はそう思っています。
美術の知識があろうが無かろうが、観てくれる人は観てくれる。

空間構成は今までで一番。いい什器を沢山使わせてもらえたのも大きい。
作品も気合入ってます。

mugiya.JPG

ちょうど麦や祭りの期間中だったので
在廊の間に踊りも観てきました。
「ささら」を使ったこきりこ踊り、
かっこよくって大好き。

展覧会は28日までで、水曜がお休みです。
次は最終日に会場に参ります。
お越しの方、是非記帳ノートにお名前書いてくださいね。