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ヒロタが綴る日々の出来事

夕刻、
桜のトンネルの中自転車を走らせていると
やっぱり綺麗だなあと思う。
ああくやしい。
その下に植わっているユキヤナギの花の
なんと可憐なこと。
足が棒のよう、そんなことも忘れてしまうよ。

ある人が私に、
「僕は懐にお金だけ入れて、旅をしたい。何も持たずにね。
いるものがあったらその時に買えば良い。」
なんて言っていて、素敵だなあと思った。
大人になってそんなふうに言えるのがとても素敵。
それとも、帰る場所があるからかな。

私は一生、表現しつづけて生きたいです。

と、心の中でそう言いました。

私の住居は小さいけれど、
今までで一番気に入っているかもしれない。
ふとそう感じたので、
思わず掃除して換気扇も掃除した。

スープ

2009.4/4

キャベツのスープ 透明傘から見る景色
雨 初花雪
作品の仕上げの縫い物とアイロンがけと 
いくつも描く作品のパターンと
新しい発見
体の左側のことや

毎日やるとかけ算になる
毎日じゃないと足し算になる
生きることがたいせつなこと
わたしは生きることをがんばってみる

シンプルなキャベツのスープも
丁寧に炒めてうまみを引き出して
よい火加減でつくるとおいしくなる
家に帰ってスープがあると
うれしい気持ちになる

6日到着でIN MY BASKETさんに納品です。
詳細はお知らせをご覧くださいね。

cool

2009.4/2

20090402-1.JPGのサムネール画像
4月第一弾のオーダー作品お届け、

ちょっと大きめのテーブルマットは
生成り色とグレーのリバーシブル。

春と共に楽しき食卓。

20090402-2.JPGのサムネール画像

数字の「4」にも見えるクロス柄。
内田京子さんの器と合わせました。
陶器とフェルトは相性が良い。

20090402-3.JPGのサムネール画像ツェツェの磁器と木のボウル。
少しひんやりした感じの磁器と
合わせるのもおすすめです。

お手持ちの器たちと相談しながら
いろいろ合わせて頂けると
良いかと思います。

色々使い勝手の良さそうな作品だなあと感じました。
nouvelle vague.の定番作品に加えるかもしれません。

Refractive index

2009.4/1

心を込めて、ひとつひとつの仕事を丁寧におこなう。
ただそれだけ。

最近気をつけているのは、
なるべく早い時間に制作をすること、終えること。
自分の時間をつくるようにすること。
ちゃんと眠ること。
どんなに忙しくても睡眠時間は確保する。
眠れなくても布団の中でぼんやりしている。
それだけでも体は休まるものだそうです。

擦り切れた膝小僧がすこしだけ寒い

なんか顔が丸くなった・・・もしや。

Slight headache

2009.3/31

早起きはできなかったけれど、ひととおり家事をこなし
次のオーダー作品にとりかかる。
なかなか素敵な出来になったので嬉しい。
nouvelle vague.の新作に加えてみようか・・・

夕方からは、初めて行く場所へ映画を観に行く。
ちょっと遠出で、旅気分。
乗ったことのない電車にカタコト揺られて行ってきました。
舞台になっている外国の村の美しい風景に溜め息。
緑と広く抜ける空のある場所はいいなあ。
保守的な村で、自分のやりたい事に情熱を傾ける
おばあちゃんたちの強さに憧れました。
異邦人ではない人間が、
保守的な場所でやりたいことをして生きるというのは
やはり簡単なことではありません。
都会では比較的に簡単なことです。私が居る理由もここにあります。
悪いことなんてしていないし、自分に素直に生きているだけなのに
陰ひなたで言われる経験は、私にもありました。
当時は「環境のせいだ」なんて何かのせいにしていたけれど、
それはきっとちがう。
大切なのは、どんな環境にも屈せずにやりたいように生きる強さを
持つことなのでしょう。
簡単に傷つかない強さ・・・は、きっと私にはむずかしいから、
傷ついたとしてもすぐに立て直せる強さを。
マインドの低い人や、頭が凝り固まってしまった人とは距離を置く。
これは私にとってはかなしい行為でもありますが。
それと、たった一人でもいい、応援してくれる人を見つけること。

桜が咲き始めています。
夜川沿いを走ると、桜が闇にぼうっと浮かび上がって何とも美しい。
わが家の月下美人、オリーブ、モンステラも元気に育っていて
新芽を付け始めたものもあります。
植物の体内時計って素晴らしいな。
ちゃんと春が来ていることに気づいているのだ。

4月下旬に作品展への参加が決まりました。
会場は大阪のSpace N-SEATさん。
ガラス作家さん、青磁の作家さんの器にフェルト作品で
彩りを添えたいと思っています。
詳細はまたお知らせしますね。

最近欲しいのはお酒を作る時に使う長いマドラー。
たかが水割りされど水割り。
作る人が作ると、本当に美味しい飲み物になるんだよ、と
行きつけの整骨院の先生に聞いて、俄然興味がわきました。
手順も、氷の数も、氷を足すタイミングも決まっていて、上手な人は
所作も無駄なく美しく、混ぜる際に氷がガチャガチャいわない。
混ぜるのって、意外に難しいのです。
うーん、上手になりたい。
(↑別にバーのママになるわけではありません)
作品づくりもそうですが、私は自分の手で何かを行うのが好きで
人間の体の中でも特に手が好きです。
爪も短く、かさかさしているし、指先はかたくなってしまいましたが
フェルト化の段階をきちんと見極めてくれるし、
食器を洗うことも文字を書くことも絵を描くことも、ものを運ぶことも
かなしんでいる人の背中にそっと手を当てることもできる。
子供の頃熱を出して寝込んだ時、母が額に手を当ててくれただけで
とても安心したことをふと思い出しました。
「手当て」って書きますしね。人間の手はすごい。
コーヒーも紅茶も、淹れている時が好き。新たに「お酒を作る」ことが
役に立つのか分からないものばかりの趣味ラインナップに加わりそう。
・・・いっそママでも目指してみるか?(嘘)

ひとつのことからいろんな考えが派生してきて、
脳内が高速回転してきましたので、本日はこの辺で。
 

橋という存在

2009.3/25

制作中の作品。携帯ストラップの紐部分に
どうやってフェルトのモチーフをつなぐか四苦八苦。
どんな色・素材のパーツを使ってどんな風につなぐと美しいか考える。
昨日買ったパーツで試したら、えらくがっかりな仕上がりになったので
今日も材料屋さんに足を運び、いろんなパーツを見ては考える。
どうしようかなあとあれこれ探していると、
アンティーク調のモチーフの連なったネックレスチェーンの一部に
これはと思うデザインのパーツが組み込まれていたので、
チェーンを買って自分で分解して使ってみた。
これならいい感じ。
小さな部分まで良く吟味することが、作品の出来不出来を決める。
最後までじたばたする。

春にちょっとした環境の変化がありそうで、
新しい環境に慣れるのに時間がかかる私は今からドキドキしている。
制作という自分の世界と、
社会という外の世界。
二つの世界のバランスを取るのは案外大変。
でも、どちらも私に必要な世界。
数年前に見つけた、二つを繋ぐ橋。
今はこの橋を強くしている過程。
容易く崩壊させたくはないものです。

フェルト制作のための資料を読み直していて
作品の端を整えるのに洗濯板がいいと書いてあった。
今までやったことがなかった。というか知らなかった。
今度やってみよう。

フェルト作家によって制作の進め方は違ってくる。
私はスウェーデン式を軸としているけれど基本的に独学だ。
いろんな先輩作家さんのやり方を書籍で読んだり
昔いた就職先で延々とフェルトのアクセサリーを作り続けたり
ワークショップに参加して坂田ルツ子さんの手ほどきをうけたりして
ミックスされて、現在はかなりオリジナルになっていると思う。
さくさく作業を進めたい質なので、自分にとって要らないと思う行程は
遠慮なく省いている。
今のやり方で落ち着いてきたとはいえ、まだまだ知らないことや
挑戦したいことがある。知りたいと思う。

今日は小さなものを造形していた。
丸いボール状のものは比較的簡単にできるけれど
例えば小さいハート形の立体などは難しい。
全長約2.5cm〜2.8cm。
思うようなバランスのハートに仕上げるのがまた大変だ。
けれど最終的には上手くいったと思う。
あとはこれをより早く無駄なく行えるように修正していかないと・・・

自転車で動いていた今日の帰り道は土砂降りで、
しっとりと、水も滴るなんとかな感じで帰宅。
デニムが雨に濡れると重い、そして冷たい。

そしてパソコンに向かいながら脈絡もなく
「ユニットバスってやっぱり狭くて不便やなあ」と思う。
でも前に住んでいた所はシャワーしかついていなかったから
それは贅沢というものか。
ひとの欲というものは際限がなくて、何かを得ると
また次の何かが欲しくなるものです。
そういった果てしない欲は、制作にのみ使えるといいのですが。
その他は何事もほどほどが良いのと思っているのに、
案外そうでもなかったりしてね。

制作と、それから日々の最中に
1951年ドイツ、
バイロイトでのフルトヴェングラー指揮「第九」
ぶっ通しで聴きました。
74分42秒。
泣けました。
ベートーヴェンがもっと好きになりました。

必ず泣きそうになる箇所があるんですが、
今回も例にもれずでした。
そして、良いデッキが欲しくなりました。
いや、前から欲しいのですが。

指揮者によって解釈が違うから、
他の第九も聴いてみたいです。

京都も桜の開花宣言が出た様です。
今年も春がやって来るのです。