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ヒロタが綴る日々の出来事

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オーダーの室内履き。
近頃はあまり使わない色だけど、こうして見てみるといい色だなあ。赤と臙脂のぽってり感。

台湾のCicadaの曲”Over the Sea”が素敵。2分30秒辺りの半音の変化が、はっとする。環境問題という、一見かたいイメージのテーマをきれいな音楽にしている。
全ての芸術は音楽に嫉妬するって誰の言葉だったっけ…と調べたらニーチェだった。便利な世の中だ。

あとはSNSで教えてもらった、パリのカフェの音を聴けるサイト。お喋りや食器のふれあう音に重ねて、雨や車の通る音がカスタマイズできるのがお気に入り。

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ウェブショップの準備中。
撮影、加工、サイズの計測、文章を考える。

昨日は梅田まで出て、案の定迷った。
梅田で行く画材屋が、ちょっとわかりにくい所にあるのだ(ということにしておこう)。

画材屋などでふいに見つける便箋や封筒、カードといったものが好きで、ウェブショップのアイテムに対応するようなモチーフの紙ものを見つけたら買っておくようにしている。ギフトラッピングでなくても、包みを開けた時に、そういうもので一筆書いてあったらちょっとわくわくしてもらえるかなあ、なんて考えながら。全部のアイテムに対応している訳ではないので、どのアイテムなのかはお楽しみ。

最近、夕方になると20分くらい視界がわるくなる。チカチカとノイズのようなものが見えて、どうも目が見えにくい。PC用眼鏡がいよいよ要るのか…

これしか取り柄がなかったもので、と、続けてきた理由を後ろ向きに考えればきりがない。でも、表現する事で生計を立てようとするなんて、根が楽観的で前向きでなければ続けていられないだろう。
(あるいは単純に、引き返せないところまできてしまったからか)
本当は後ろ向きでネガティブ、でも本当は楽観的。本当は自信がない、でも本当は自信がある。本当に才能ないなあと思う、でも本当は才能があると思う。そんな風にいくつもの「本当は」をミルフィーユ状に重ねながら、ふとしたきっかけでサクサク崩れてしまいそうな、でも案外簡単にくずれなさそうな、そんな中で生きている。重なった思いの中にいるままでも続けていけばそれなりにどっしりしていく。

ヌクヌクな2月展(柏市 うつわ萬器)
京阪神zakkaマルシェ(阪神百貨店)
ワークショップ(foo,kocka)

いずれも無事終了いたしました。
ご参加下さった皆様、お買い上げ下さった皆様、告知にご協力下さった皆様、誠にありがとうございます。
いくつかのイベントはこちらに告知する前に満席になったり、制作スケジュールが逼迫で事前お知らせができず、申し訳ありません。
移動の合間に投稿できるSNSでは随時お知らせをUPしていますので、もし宜しければこの機会にご覧・ご登録頂けますと幸いです。

twitter(Ryoko Hirota)
instagram
facebook

ここを長く読んでくれている方にはおなじみの話題かもですが、比較的ハードワークな職業なので、整骨院通いは命綱。
引っ越しなどで環境が変わると新しい整骨院を見つけるのが恒例行事です。
いろんな先生がいる中、今の先生は「やれるところまで無理して無茶してやってきなさい。そのあとのメンテナンスをするのがこっちの仕事」と言ってくれるので、私の性格に合っています。
最近は浮腫が笑えるくらいハンパなく、昨日はアンパンマン状態の顔をゴリゴリしていただきました。
顔も凝るらしいです。顔の凝りが首や肩の凝りにもつながっているとか。
体力はあまりないけれど元が丈夫なので、おかげさまで風邪やインフルエンザで寝込む事もなく、元気に過ごしています。
あとは田口くんが脱退するという話題になってから気になりだしたKAT-TUNに癒される毎日。
田口くん、あんなにダンスがかっこいいのにもったいない・・・
男女問わずのアイドル好きですが、その時々でブームがあり、今は若めのジャニーズの魅力にとりつかれています。その仕事への姿勢を見て自分の仕事の参考にすることも、あるのですよ。
変化することに、どうしても寂しさを感じてしまいます。「あのグループにいるあの人」が抜けるというのはいろんな意味で大きい。私も、周囲のお世話になっている皆さんの人事異動や業務形態の変化へのさびしさを感じる事も多いです。でも、変わらないものはないからなあ、仕方ないものは仕方ないしなあ、とも思います。こういうことは今までにもいくつもあったし、これからもそうだろうし、そういうものなのだ、と。
寂しさに慣れていくことについて、ちょっと考えてみようかな。

16

2016.1/21

1月1日で、活動16年を迎えました。
作品を通じて支えて下さっているみなさん、周りの人々に支えられての16年。
いつもありがとうございます。

阪急百貨店でのミニ個展は無事終了いたしました。
たくさんのアイテムが旅立ちました。お越しのみなさま、告知に協力してくださったみなさまには、感謝の気持ちしかありません。ありがとうございます。

また、アヴリル梅田店でのバッグワークショップも無事終了いたしました。
こちらで告知を行う前、12月のうちに満席となり、キャンセル待ちのお客さまもおられたとのことで、参加頂けなかったみなさま、申し訳ありません。
みなさん、それぞれに素敵なバッグを仕上げていかれました。
アヴリルさんでのバッグワークショップは3回行いました。毎回、おひとりおひとり個性あふれるバッグができるので、私も毎回楽しみにしています。

さて、現在は2月の各イベント準備中です。
・うつわ萬器 グループ展(2/13~27)
・京阪神zakkaマルシェ(2/8~14)
・fooさんにてワークショップ(2/27)
を予定しています。

2016年、始まってまだ1ヶ月もたっていないのに、世の中ではさまざまなニュースが毎日のように流れてきて、すでにお腹いっぱいになっている感もあります。
いろいろと目移りしてしまいがちですが、気持ちを落ち着けて、目の前にある、日々やるべきことに向かって、すごしていけたらと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

no title

2015.12/28

divide and it multiplies
when divided it appears
the distance is blessed

-Rei Naito

さて、聖人の生誕を祝う日も、そのまえもそのあとも、日常をすごしている。現在のスタンスはまたもや別の方向へ。むかしこの手で何かをつくると決めた日から、そのときそのとき、今の自分に必要であろうと思う方向へと揺れながらここまで来た。揺れることへの罪悪感、どちらか一方向だけに進まなければならないのではないかという長い問いかけ。それは時間を経て和解し、原石のようなものだけが残り、今は自覚的にその方向へと自ら進む。16年目の原石。

2月までの予定は少し延び、3月まで、たくさんたくさんつくる日々が続くだろう。それは明らかな観客、購入してくれる人たちに向けたものだ。その中にも、ちらりちらりと、微かに、今の気分がにじみ出ているように思われる。そして、できあがったものを、わたしは好きだと思う。そして伝えられたらと思う。

いつも、切実さのもとにつくっている。ひとりでいるとき、工房から出ずに籠っているとき、何かは現れる。何かとは何か?

完璧さ

2015.12/21

「自分にとって完璧に欲しいもの」が欲しい。
手に入れられなかったり、手に入れられたとしても、本当に望むものと違うかたちなのなら、いらない。という極端な気持ち。
先日の、欲しかったニットキャップを選びに選び、また出会って、ようやく買ったという件からはじまり、ここの所「心からいいなあと感じて欲しいと思ったもの」のことを考えていて、自分はそうなんだろうなあ、と思った。

まあ、時々は妥協するのである。それでも。
主に経済的な理由なのだけど、とはいえ予算内で選びに選んで買うのだ。
でも、あとでやっぱり「これなら無い方が良かったかも」となる事が多い。まず、気分が高まらない。
そういうのは、”もの”に対しても自分に対してもあまりしあわせではないような気がする。

妥協するくらいならないほうがいいや。という方針は、私はなるべく貫いた方がいいかもしれない。

完璧なものを求めてしまうのは、時に頑固で窮屈にも感じ、端から見ている人にもそう感じられるだろうけど、この「完璧なもの」を求めていく姿勢こそが、自分がものづくりを続けていける肝なんじゃないかと思う事もある。
宮崎駿監督「風立ちぬ」の主人公のように、つくりたいもののイメージはあって、でも技術とか環境とかで今つくる事が出来ないんだけど、でも未来はきっとそこにに辿り着くんだー!みたいな気持ち。またはある人の言葉を借りれば、バタアシ金魚のラスト近くに主人公が見る「ある光景」。それは、本人にとってのパーフェクトなものなのだと思う。

一生かかっても、完璧なものが手に入るとは思っていない。
これだけ偉そうに語っていても、時折ゆるふわなアイテムが生まれたりもする。そういうのを楽しみつつ、でも、求め続けるというのが肝なのだ。

no title

2015.12/15

昨晩は、近頃仲良くさせてもらいつつある古書店&喫茶店のバーベキューにお呼ばれした。自分よりも年上の方々が多く集まり(しかも皆さん超絶に紳士的)、年齢の重ね方の様々な可能性を見たような気がした。
人との集まりでは普段食べないようになった食べ物が並ぶので、翌日は夜までお腹が食休みになるのだけど、それでも、楽しくわいわいするのはきらいではない。

今日は阪急百貨店での個展のレイアウトと作品リストづくり。
展示イメージも固まってきた。

昨日買ったアルパカのニットキャップが好きすぎてたまらない。
洋服、身につけるもの、お洒落は大好きだ。
でも、この生き方を選んでいるので、多くの人がしているより遥かに遥かに、「お洒落するもの」を買う事は少ない。たぶん、皆が想像できないくらいだと思う。

そのぶん、「こういうアイテムが欲しいな」と思い、それをお店で見つけて試着して気に入り、買ったときの喜びはとても大きい。と、いうか、めったに買えないから、すごく気に入ったものしか買わなくなった。
で、何年も大切に着る。
接客の感じもとてもよくて、しかも、メインで対応してくれたひとは超絶美人だった(!!)。
古い建物を活かしてショップに仕立てた内装も素敵だったし、また足を運びたいな、と思う。

アルパカニットキャップ、本当にふかふか。とてもいい仕事。
会った人には触らせてあげよう。

「奈良美智の日々」10月27日のテキストは、妙に心にくる。
まったく同じではないにせよ、なんとなく感じていながらもうまく言葉にできないことを、言葉にして読む事が出来る。
(ちがうところがあるとすれば、私には自己顕示欲がある、ということ)
私はつくる人なので、羊毛は割と使いこなせるが言葉はそうもいかない。テンポの速い会話なんていうのは特にそうだ。誰かに話した事があったかここに書いた事があったかどうかは忘れたが、二十代の頃、一時期言葉を失った事がある。そのことをすっかり忘れていたくらいではあるが、できれば口をつぐんで話したくなく、行動や、やっていること、つくるものをみてほしいというのが本音だったりする…けど、こうやって他人に何かを求める事自体、私もまだまだだなあと思う。

思えば大学の頃から、奈良さんの本を、というかNARA NOTEを繰り返し読んできた。
今ひとたび、何をどうつくり、外へ出していくのか?ということを自分に問い直しながら、日々の作業や制作に向かっていく時期なのだろう。

京都帰り

2015.12/13

MARNIで大きく真っ黒な羊のオブジェを見た。
背中にはMARNIのストールだかマフラーが色違いで2枚掛けてあり、ニットキャップが被されていた。大きなものはいい。

マーコートでニットキャップを買う。
ずっと欲しかった新しいニットキャップは、アルパカ100%でとても肌触りがいい。肌に触れる部分もチクチクしないのがうれしくて、形と編み込みも気に入った。コートはなかったけれど、これが見つかって良かった。(ちょっとしたコートが買えそうなニットキャップである)

何年も気にし続けていた鳴門屋の鯛焼きを、帰りにようやく買った。金時芋と餡子をひとつずつ。熱々のうちに金時芋を三条のベンチで食べる。餡子のは帰りの電車の中で。

京都の交差点で大学の友人に偶然出くわした。少し立ち話して、いつも偶然会うねと言われる。そういえば、彼とは以前電車の中で偶然にも出会ったのだった。恒例の忘年会に誘ってくれたが、皆の事は時々思い出すし好きだけど、人見知りなので、と丁重に断る。そういえばそうだったねえ、と。でも、誘ってもらえるのはいつだって嬉しい。