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ヒロタが綴る日々の出来事

朝の記憶と毛玉の話

2012.3/7



20120306.JPGのサムネール画像

おはよう。
今日は曇り空、とてもあたたかい。春らしさがちらほら見えるようになってきました。春はいつも、ちょっとだけせつないのです。(でもあたたかいから、とても気持ちいい)

朝の楽しみは朝ごはん。
よく行く喫茶店でモーニングを食べていると、奥のキッチンで、(たぶん)お昼の料理の支度をする音が聞こえてくることがある。お米を鍋にあける、ざっ、という音、野菜を切る音、私のためのコーヒーをいれてくれるお湯の音。子どもの頃の朝ごはんを思い出し、とても心地好い。音の記憶だ。

ちょっとかたいかもしれないお話。
男女平等とか、いろんな考えがあるけれど、お父さんの役割、お母さんの役割って、やっぱり変わらない良さがある。それぞれにしかできないことがあり、父性と母性はそれぞれちがうし、それはどちらも素敵なもの。
とはいえ、お父さんが超・主夫で、こんな朝の音をつくってくれる家、というのも素敵だろう。
どちらでもいい。ただ、男であること、女であることは、たいせつにしたいなあ。表面的な男・女じゃなくてね。

ちなみに今朝は、家で朝ごはん。
コーヒー、トースト、干し無花果。


ある物書きの方、「毛玉はとっちゃあいかん」とおっしゃる。質の良い毛糸を惜しみなく使ったセーターほど毛玉はたくさん出来やすい、毛玉がついたセーターは、脱ぐと着ていた人の身体のかたちをしていて平べったくない、そういうセーターを着ている人はどんなものでも大事にしているに違いないから、信用出来る、と。毛玉取り機、あれはいかん、とも。
しかし、どうしても、毛玉が気になって取ってしまう、それが私である。
とはいえ。
Gパンは、履いて洗っていくうちに身体に馴染み、やわらかくなり、古くなってくるほどよい味になる。愛着もわく。そういうのと、少し似ているのだろうか。
私がつくるフェルト作品も羊毛。用途に合わせて、いろんな品種のよいウールを使っている。鞄やルームシューズなど、身に付け使うものもつくっている。
毛玉ができていくことで、より馴染み、愛着がわいてくるような、そんな作品をつくっていけるように努力しよう。つまりは、「愛着がわいてくるような作品をつくろう!」という意気込みや期待を手放して、ただただこつこつ努力すること。
よい毛玉が出来ていく、そんな作品を。