身長ほどに積もっていた雪もあっという間に解けてゆき、窓を開けると空気の匂いが春に変わっていました。雪国に住む寒がりのわたしにとって春は殊の外待ち遠しい。地面が雪に覆われて見えなくなり、寒さをしのぎながらじっとしているから。住み始めた当初は都市部と比べて情報が削ぎ落とされずいぶんとほっとしたのですが、少なすぎるとこれまた物足りなくなるものなのでした。
毎年恒例、モチーフ依頼のデザイン画に取り組んでいます。あれこれと描いては没にし、そこでひらめきや気づきがあり、描き直してみつかることがあって、感覚が前にでてくる。やっているときに何かをつかんだような瞬間があったりもしますが、すべてをつかんだ気になってはいけない。驕ってはいけない。…こういう取り組みを何もかもに充てることは物理的に不可能なので、ゆえにすべての物事において「選択」というものが存在するのかなと思ったりしました。思考を言葉に変換しようとする癖をやりすぎている時、制作と外の世界をつなげようとし過ぎている時、「人間らしく」あろうとしすぎている時、いつも前頭前野が痛くなります。(最近気づいた)単に使いすぎで痛むのか、もともと低スペックなのにフル稼働するからオーバーヒートで痛むのか、そこは判断に迷いたいところです。