shepherd moon
2012.9/5
季節の変わり目は体調の変わり目でもある。
腰痛と謎の湿疹とともに、最近の日常はある。
頭は元気。今日は新作の試作にかかっていた。
フェルト界では変わらずニードルフェルトが人気のようだ。針でつつくだけで簡単にできるし、水も使わないから楽だし。
(中には素晴らしい作家さんもいらして、それは当然、簡単には出来ないのだけど)
わたしは、人気になるとやりたくなくなるへそ曲がりな所がある。
そのおかしなこだわりをとっぱらって、今日はニードルだけでやってみた。
自分に巣食う、不必要なこだわりを手放していくことで、あたらしいことがやってくる。
そして思いのほか、自分が堅物になっていることに気づかされるのだ。
息苦しいと感じるのは錯覚で、どんな問題も原因は常に自分の中にある。それが表面化しているだけ。作品に限らず、自分の環境、人間関係、すべてがそうだと思う。問題に感じるのであれば、そこに、自分が向きあう物事がある。
そのことにいくつ気づけるか。
で、いくつ枠を外していけるか。
日常会話は通じるが、もっと突っ込んだ所の気持ちを伝わるように表現するのが得意な方ではない。
言葉や日々の生活で表現できないから、作品で出すのだ。
しかし、作品そのものが「気持ちそのもの」を表しているわけではない。
不思議なものだなあ、と思う。
結局はつくりたいからつくっているということなのだろう。
「アイデアは天から降りてくるものだ」とは思わない。表現も、何だかんだで1%の才能と99%の努力によってなされるものだと思う。
けれど、何かしらの力がはたらいてそれを創らずにはいられないようなときがある。
今日は、アイデアがどうとかこういうイメージでつくりたいとか、そういうのをすっ飛ばしていいものが創れた。こういうときは、朝起きるのが実に楽しみになる。
たくさん知恵を出して、それを出し惜しみしないで、もっと出すべきだ。